マルコ・コルテリーニ

マルコ・コルテリーニ(1724年5月24日、モンテプルチャーノ- 1777年11月、サンクトペテルブルク)は、イタリアのオペラのテノール歌手台本作家印刷業者であった。

コルテリーニのマーク(BEIC

バイオグラフィー

コルテリーニは教会でのキャリアをスタートさせたが、4人の娘をもうけた後、教会を去らざるを得なくなった。リヴォルノに印刷所を設立し、フランチェスコ・アルガロッティチェーザレ・ベッカリアといった啓蒙思想家の作品を出版した。コルテリーニはオペラに強い関心を持ち、メタスタージオ(オペラ・セリアの代表的な台本作家)や、イタリア・オペラの改革に尽力したクリストフ・ヴィリバルト・グルックラニエーリ・デ・カルツァビージ、ジャコモ・デュラッツォらと親交を深めた。

1763年、コルテリーニはメタスタージオの後任としてウィーン宮廷詩人となった。グルック、ハッセ『ピラモとティスベ』)、サリエリの台本を執筆したほか、カルロ・ゴルドーニ『簡素な終わり』をモーツァルトの作曲に合うように改訂した。トラエッタとの共作『アウリーデのイフィジェニア』 (1763年)は、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』におけるオペラ的革新を発展させた。 1768年、コルテリーニはジュゼッペ・スカルラッティのオペラ『鳩と愛とジェロシア』 の台本を書き、このオペラは、シュヴァルツェンベルク公ヨーゼフ1世アダム・フォン・シュヴァルツェンベルクの長男、シュヴァルツェンベルク公ヨハン1世の結婚式を祝うため、チェスキー・クルムロフ城の新しく改装された劇場で初演された。初演ではコルテリーニ自身がオペラの登場人物の一人、パトリツィオの役を歌った。

コルテリーニは1772年、風刺劇の一つが皇后マリア・テレジアの怒りを買ったため、その職を解かれ、ロシアのサンクトペテルブルクにある帝国劇場の公式台本作家に就任した。ここで彼はジョヴァンニ・パイジエッロと『トラエッタ』(アンティゴナ)の台本を担当した。彼は再び不名誉に陥り、突然の死は毒殺によるものと噂された。

参考文献

出典

  • クリストフ・ルセによるトラエッタのオペラ『アンティゴナ』(デッカ、2000年)の録音のブックレット注釈