Pasternak (right) receiving his star on Hollywood Boulevard from Johnny Grant with Gene Kelly on the left on July 29, 1991.
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ジョー・パスターナックハリウッド黄金時代を彩ったミュージカルの巨匠

映画史における「黄金時代」に、多くの人々を幸福感で包み込んだ作品を世に送り出した人物がいます。ジョー・パスターナックは、特にミュージカル映画の分野で類まれなる才能を発揮し、数々の歌姫やスターを育成した伝説的なプロデューサーです。彼の作品哲学はシンプルでありながら強力で、「誰も病気にならず、死なない、純粋な娯楽」を提供することに心血を注ぎました。

Key Facts

  • キャリアの幅: サイレント映画末期から1960年代後半まで、約45年間にわたり映画業界に貢献。
  • 代表的な功績: ディアナ・ダービンやエスター・ウィリアムズなど、多くの女性スターを成功に導いた。
  • 主要スタジオ: ユニバーサル・ピクチャーズおよびメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)で中心的な役割を担った。
  • 作品数: 生涯で計105本の映画を製作し、そのすべてが全年齢対象の作品であったことを誇りにしていた。
  • 栄誉: アカデミー賞に2回、ゴールデングローブ賞に3回ノミネートされた。

波乱万丈な若手時代からプロデューサーへの道

1901年、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のルーマニア)のユダヤ系家庭に生まれたジョー・パスターナックは、11人兄弟の一人として育ちました。10代でアメリカへ渡った彼は、フィラデルフィアの工場でベルトに穴を開ける単純作業に従事するなど、地道な生活からスタートしました。しかし、映画への情熱は消えず、ニューヨークで演技を学び、やがて映画制作の現場へと足を踏み入れます。

彼のキャリアの始まりは、パラマウントのスタジオでのバスボーイ(配膳係)という謙虚な役職でした。しかし、持ち前の勤勉さと能力で頭角を現し、わずか1年でヘッドウェイターへと昇進。その後、監督アラン・ドワンの助手となり、現場での経験を積み重ねることで、映画制作の基礎を叩き込まれました。

欧州での経験とユニバーサルでの飛躍

1928年、ユニバーサル・スタジオから国際市場向けのドイツ語映画制作のためヨーロッパへ派遣されたパスターナックは、ここでプロデューサーとしての手腕を磨きます。ドイツやハンガリーで多くの作品を手がけ、現地の才能ある監督や俳優とのネットワークを構築しました。この欧州での経験が、後の彼の「明るく心地よい映画」というスタイルを形成する礎となりました。

ハリウッドに戻った彼は、14歳のカナダ人歌手ディアナ・ダービンという原石を発見します。彼女を起用した『Three Smart Girls』(1936年)は大ヒットを記録し、当時経営危機にあったユニバーサル・スタジオを救ったと言われています。その後もダービンとのコンビで10本の作品を製作し、彼女を世界的なスターへと押し上げました。

MGM時代:ミュージカルの頂点へ

1941年、パスターナックはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)に移籍します。ここでは、ルイ・B・メイヤーら経営陣から絶大な信頼を得て、スタジオの執行委員会に名を連ねるほどの影響力を持つようになりました。彼はキャスリン・グレイソンやジェーン・パウエルといったソプラノ歌手を起用し、華やかなオペレッタ映画を量産しました。

また、水泳スターであるエスター・ウィリアムズのデビュー作をプロデュースし、莫大な利益を上げました。ジーン・ケリーの初期の重要作や、ジュディ・ガーランドのMGM最後の作品『Summer Stock』(1950年)など、映画史に残る名作に携わったことも彼のキャリアのハイライトです。

独立と晩年の活動

1956年にMGMを離れたパスターナックは、独立プロダクション「エウテルペ(Euterpe)」を設立します。その後再びMGMと提携し、『Where the Boys Are』(1960年)のような若者向けコメディで新たなヒットを飛ばし、時代の変化に合わせた作品作りを模索しました。また、1960年代半ばにはアカデミー賞のプロデュースも担当しています。

1967年に20世紀フォックスへ移りましたが、撮影前に脳卒中を患い、さらにパーキンソン病を患ったことで、映画製作からは退くこととなりました。1991年、90歳になる直前に惜しまれつつ世を去りました。

Pasternak (right) receiving his star on Hollywood Boulevard from Johnny Grant with Gene Kelly on the left on July 29, 1991.

ジョー・パスターナックの経歴まとめ

パスターナックのキャリア概要
項目 詳細
活動期間 1923年 〜 1968年
主な所属スタジオ ユニバーサル、MGM、20世紀フォックス
得意ジャンル ミュージカル、ロマンティック・コメディ
育成した主なスター ディアナ・ダービン、エスター・ウィリアムズ、キャスリン・グレイソン
総製作本数 105本

Frequently Asked Questions

パスターナックが映画製作で最も大切にしていたことは何ですか?

彼は映画を純粋な「娯楽」と考えていました。「私の映画の中で誰も病気にならず、死なない」と語っていたように、観客が心地よく楽しめる、明るくポジティブな物語を提供することを最優先していました。

彼がユニバーサル・スタジオに与えた影響は?

若きディアナ・ダービンを抜擢した作品が大ヒットし、当時のユニバーサル・スタジオを破産から救ったと言われるほど、経営的に極めて大きな貢献をしました。

MGM時代にどのようなスターを輩出しましたか?

キャスリン・グレイソンをスターダムに押し上げたほか、エスター・ウィリアムズの映画デビューを成功させ、彼女を「水中の美」として定着させました。

映画以外の活動はありましたか?

料理への関心が高く、1966年には『Cooking with Love and Paprika』という料理本を出版しています。そこにはハンガリーのレシピと共に、彼の人生のエピソードやもてなしのヒントが綴られています。

彼の功績はどのように記憶されていますか?

ハリウッドのウォーク・オブ・フェームに星が刻まれており、映画業界への多大な貢献が称えられています。また、100本以上の作品を製作しながら、一度も成人向け作品を作らなかったという誠実な姿勢も高く評価されています。

References

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  8. Folkart, Burt A. (September 17, 1991). "Film Producer Joe Pasternak Dies at 89". Los Angeles Times. Retrieved March 7, 2019.
  9. Douglas W. Churchill (June 20, 1941). "Pasternak will join metro production staff – 'out of the fog' opens today at strand". The New York Times.  105541796.
  10. Scott Eyman: Lion of Hollywood – The Life and Legend of Louis B. Mayer, p.363 Linked 2014-01-28