南米チリとアメリカ合衆国の関係は、単なる外交関係を超え、2世紀にわたる深い政治的・経済的な介入の歴史を抱えています。その介入は19世紀初頭の独立戦争時代にまで遡りますが、特に冷戦期における民主的に選出された政権の転覆と、その後の軍事独裁政権への関与は、現代史においても極めて議論を呼ぶテーマとなっています。
主要な事実(Key Facts)
- 介入の始まり: 1811年にジョエル・ロバーツ・ポインセットが派遣されたことが、米国によるチリ政治介入の端緒となった。
- CIAの活動: 1963年から1973年の10年間、CIAはチリの主要な選挙に継続的に関与し、特に1970年から1973年の3年間で800万ドルを投じた。
- アジェンデ政権への圧力: ニクソン大統領は、サルバドール・アジェンデの就任を阻止するため、経済的混乱を誘発させる戦略を指示した。
- 1973年クーデター: アウグスト・ピノチェト将軍による軍事クーデターによりアジェンデ政権が崩壊。米国は直接的な実行に関与した証拠はないとされるが、クーデターが起こる「条件」を整えたことは認めている。
- 独裁政権への支援: ピノチェト政権発足後、米国は多額の融資を行い、秘密警察DINAとも接触を持っていた。
介入の原点と冷戦期の激化
米国のチリへの関心は、1809年にジェームズ・マディソン大統領がスペイン植民地からの独立運動を調査させるために特使を派遣したことに始まります。その後、20世紀に入るとその影響力は経済・政治の両面で拡大していきました。
特に1960年代から70年代にかけて、米国の介入は「広範かつ継続的」なものとなりました。1975年のチャーチ委員会報告書によれば、CIA、NSA、FBIが連携し、チリの民主的な選挙プロセスに影響を与えようとしていたことが明らかになっています。1972年単年で300万ドル以上が投じられ、選挙結果を操作しようとする試みが繰り返されました。
アジェンデ政権の転覆計画
1970年、社会主義的な政策を掲げるサルバドール・アジェンデが大統領に選出されると、リチャード・ニクソン政権はこれを阻止すべく動きました。ニクソン大統領は「チリを救え」という強い意向を持ち、経済を破綻させて政権を追い詰める戦略をCIAに指示しました。

当時の戦略は、国務省主導で憲法の枠内でアジェンデを妨害する「トラックI」と、CIAが主導して軍内部のクーデター支持者を募る「トラックII」の二段構えで進められました。ヘンリー・キッシンジャーはこの計画を指揮し、平和的な共存を否定して武力による政権交代の可能性を模索しました。
1973年クーデターとピノチェトの台頭
1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍部が蜂起し、アジェンデ大統領を追放しました。CIAの後の報告書では、米国がクーデターを「容認」していた可能性は認めつつも、直接的に計画に参加した証拠はないとしています。

しかし、機密解除された文書からは、米国政府がクーデターの発生を事前に把握していたこと、そしてキッシンジャーとニクソンが「クーデターが起こるための最適な条件を作り出した」と自負していたことが判明しています。

軍事独裁政権への関与と人権問題
ピノチェト政権誕生後、米国はアジェンデ時代に停止していた経済援助を即座に再開し、多額の融資を提供しました。同時に、米国は南米の独裁政権が連携して反対派を弾圧する「コンドル作戦」に関与していたチリ秘密警察(DINA)の責任者、マヌエル・コントレラスとも接触を持っていました。
その後、政権による深刻な人権侵害が国際的な問題となり、米国国内でも批判が高まりました。特に1976年にワシントンDCで起きたオルランド・レトレリエル暗殺事件を受け、エドワード・ケネディ上院議員らが軍事独裁政権への武器輸出禁止(ケネディ修正条項)を推進しました。

民主化への移行と米国の役割
長きにわたる独裁の後、1988年にピノチェトの権限延長を問う国民投票が行われました。この際、米国は独裁の終焉を望み、ピノチェトに反対する「No」の選択肢を支持する活動を展開しました。

| 時期 | 主な目的 | 主要な手段・出来事 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 19世紀初頭 | 独立運動の調査 | 特使ポインセットの派遣 | 外交関係の構築 |
| 1963年〜1973年 | 社会主義化の阻止 | CIAによる選挙介入・資金提供 | 政治的不安定化 |
| 1970年〜1973年 | アジェンデ政権の転覆 | 経済的圧力、軍部へのアプローチ | 1973年軍事クーデター |
| 1973年〜1980年代 | 反共体制の維持 | 経済援助、秘密警察との連携 | ピノチェト独裁の長期化 |
| 1988年 | 民主化への移行 | 国民投票での「No」派支援 | 軍事政権の終焉 |
Frequently Asked Questions
米国は1973年のクーデターを直接実行したのですか?
CIAの公式報告書では、直接的な参加の証拠はないとしています。しかし、米国政府がクーデターの計画を事前に詳細に把握しており、また政権転覆が起こりやすい政治的・経済的環境を意図的に作り出したことは、機密文書によって裏付けられています。
「トラックI」と「トラックII」の違いは何でしたか?
トラックIは国務省が主導し、チリの憲法枠内で政治的にアジェンデ政権を妨害する計画でした。一方、トラックIIはCIAが主導し、国務省や国防省を排除した秘密作戦で、軍内部の反アジェンデ派と連携してクーデターを誘発させることを目的としていました。
コンドル作戦とは何ですか?
南米の複数の軍事独裁政権(チリ、アルゼンチン、ブラジルなど)が連携し、国境を越えて政治的反対派を追跡、拘束、殺害した秘密の弾圧ネットワークのことです。米国はこの作戦に関与していたチリの秘密警察DINAと接触を持っていました。
ピノチェト政権に対する米国の態度は一貫していたのでしょうか?
いいえ。当初は反共主義の観点から経済的・政治的に強く支持しましたが、深刻な人権侵害が露呈し、ワシントンでの暗殺事件などが起きると、武器輸出禁止などの制裁措置を講じるようになりました。最終的には1988年の国民投票で民主化を支持しました。
アジェンデ大統領を追い出すために米国が使った具体的な手法は?
ニクソン大統領が指示した「経済を悲鳴させろ(make the economy scream)」という方針に基づき、経済的な圧力をかけて国内の混乱を誘発させ、民衆や軍部の不満を高めることで、政権崩壊の土壌を作りました。
References
- "The Itata surrendered" (PDF). . 5 June 1891.
- Joyce S. Goldberg, "Consent to Ascent The Baltimore Affair and the US Rise to World Power Status." Americas 41.1 (1984): 21-35.
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