20世紀の音楽界において、チェロという楽器の地位を根本から引き上げた人物こそがパブロ・カザルス(本名:パウ・カザルス・イ・デフィジョ)です。彼は単なる演奏家にとどまらず、作曲家や指揮者としても活動し、その芸術性と強い政治的信念によって世界中に深い影響を与えました。
カザルスの名は、特にJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」の再発見と普及と不可分です。忘れ去られていたこの傑作を世に知らしめた彼の功績は、現代のチェロ演奏の基礎を築いたと言っても過言ではありません。

Key Facts
- バッハの再発見: ほぼ忘れられていたバッハの無伴奏チェロ組曲を掘り起こし、世界的なスタンダードにした。
- 不屈の信念: スペインのフランコ独裁政権に抗議し、民主主義が回復するまで祖国への帰還を拒む「自己亡命」を選んだ。
- 多才な活動: チェリストとしての名声だけでなく、指揮者としてオーケストラを組織し、作曲家としても活動した。
- 国際的な栄誉: アメリカの自由勲章や国連平和賞など、音楽の枠を超えた人道的貢献が認められている。
音楽的覚醒と若き日の研鑽
1876年にカタルーニャのエル・ヴェンドレルで生まれたカザルスは、幼少期から音楽の才能を発揮しました。バルセロナの市立音楽学校でチェロ、ピアノ、理論を学んだ彼は、13歳の時に運命的な出会いを果たします。それがバッハの無伴奏チェロ組曲でした。
この作品に衝撃を受けた彼は、その後13年もの間、毎日欠かさずこの組曲を練習し続けました。当時のこの作品は出版されてはいたものの、ほとんど演奏されていなかったため、カザルスの情熱的な取り組みが結果としてこの名曲を音楽史の表舞台へと回帰させることになったのです。
その後、パリでの苦労時代を経て、バルセロナのオペラハウス「リセウ」の首席チェロ奏者に就任。1897年にはマドリード交響楽団のソリストとして演奏し、スペイン王室からカルロス3世勲章を授与されるなど、急速にその名を馳せていきました。
世界を舞台にした黄金時代
1900年代に入ると、カザルスの活動範囲は世界へと広がります。ロンドンでのクイーン・ヴィクトリアへの演奏や、パリでの絶賛を浴びたコンサートを経て、アメリカや南米へのツアーを敢行しました。1904年にはセオドア・ルーズベルト大統領の招待でホワイトハウスで演奏し、カーネギーホールでのデビューも果たしています。

また、彼はアンサンブルにも力を入れ、アルフレッド・コルトー(ピアノ)、ジャック・ティボー(バイオリン)と共にトリオを結成し、長年にわたり共演と録音を行いました。さらに、1919年にはバルセロナに「パウ・カザルス管弦楽団」を設立し、指揮者としての才能も開花させました。
演奏に使用した楽器についても特筆すべき点があります。長年「カルロ・トノーニ製」と信じて使用していたチェロが、実は1700年頃のヴェネツィアの名匠マッテオ・ゴフリラーによる作であったことが後に判明しました。
政治的信念と亡命の道
カザルスは芸術家であると同時に、強い正義感を持つ人物でした。スペイン内戦を経て、1939年にフランコ将軍による独裁体制が確立されると、彼は民主主義が回復するまでスペインに戻らないことを誓い、亡命生活に入ります。
まずはフランスのプラデスに居を構え、そこで音楽祭を主宰して後進の育成や芸術活動に専念しました。その後、1956年からはプエルトリコに移住し、人生の晩年を過ごします。
![Centenary statue, by Josep Viladomat [es], Montserrat](/images/c6/06/c606a5f4cdb6b540946c974857ac4e2ca60bf07926b8fc1045755f86538f26c2.jpg)
プエルトリコにおいても、彼は単に演奏するだけでなく、プエルトリコ交響楽団の創設(1958年)や音楽院の設立(1959年)など、地域の音楽文化の底上げに尽力しました。

晩年と不滅の遺産
亡命生活の中でも、カザルスは世界的な尊敬を集め続けました。1961年には、尊敬していたジョン・F・ケネディ大統領の招待により、例外的にホワイトハウスでの演奏に応じました。1963年にはアメリカの最高栄誉である自由勲章を授与されています。

私生活では、アメリカ人歌手のスーザン・メトカーフとの結婚や、晩年に20歳年下のマルタ・モンタニェスと結ばれるなど、波乱万丈な人生を送りました。1973年、プエルトリコにて96歳でこの世を去りましたが、その精神は今も世界中の音楽家に受け継がれています。

彼の没後、故郷のエル・ヴェンドレルに遺骨が戻されたほか、ドイツのヴォルフェンビュッテルなど世界各地に彼の功績を称える記念碑が建てられています。

パブロ・カザルス プロフィールまとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1876年12月29日 - 1973年10月22日 |
| 出身地 | スペイン、カタルーニャ州エル・ヴェンドレル |
| 主な役割 | チェリスト、指揮者、作曲家 |
| 最大の功績 | バッハ「無伴奏チェロ組曲」の再発見と普及 |
| 主な受賞歴 | アメリカ自由勲章(1963)、国連平和賞(1971) |
| 亡命先 | フランス(プラデス)、プエルトリコ(セイバ) |
Frequently Asked Questions
カザルスがバッハの組曲に与えた影響とは何ですか?
当時、ほとんど演奏されていなかったバッハの無伴奏チェロ組曲を再発見し、13年もの歳月をかけて研究・練習したことで、この作品をチェロ奏者の必須レパートリーへと押し上げました。
なぜ彼はスペインを離れて亡命したのですか?
フランコ将軍による独裁政権の誕生に強く反対し、スペインに民主主義が戻るまで帰国しないという政治的信念に基づいた抗議の意思表示として、自己亡命を選びました。
プエルトリコではどのような活動を行いましたか?
カザルス・フェスティバルの創設をはじめ、プエルトリコ交響楽団や音楽院を設立するなど、現地の音楽教育と文化振興に多大な貢献をしました。
彼が使用していたチェロについて教えてください。
長年、1733年のカルロ・トノーニ製だと思われていた楽器を使用していましたが、後に1700年頃のマッテオ・ゴフリラー製であることが判明しました。
晩年に受けた主な栄誉は何ですか?
1963年にジョン・F・ケネディ大統領からアメリカ自由勲章を授与されたほか、1971年には国連平和賞、没後にはグラミー賞生涯功労賞など、音楽と平和への貢献が認められています。
References
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