アメリカ合衆国の軍事史において、地道な努力と献身でキャリアを積み上げた人物にベンジャミン・ケンドリック・ピアースがいます。彼はニューハンプシャー州知事を務めたベンジャミン・ピアースの長男であり、後に第14代大統領となるフランクリン・ピアースの兄としても知られています。1812年戦争から米墨戦争に至るまで、数々の重要な戦いに身を投じた彼の人生は、当時のアメリカ軍の拡大と激動の時代を象徴しています。
Key Facts
- 軍歴:1812年から1850年まで、約38年間にわたり米陸軍に奉仕。
- 最高階級:米陸軍中佐およびフロリダ民兵大佐。
- 参戦経験:1812年戦争、第二次セミノール戦争、米墨戦争の3つの主要な紛争に従事。
- 後世への影響:フロリダ州の都市「フォートピアース」の名前の由来となった。
- 家族背景:政治的影響力の強い家系に生まれ、兄弟に米大統領を持つ。
波乱に満ちた青年時代と軍への道
1790年8月29日、ニューハンプシャー州ヒルズボロに生まれたベンジャミンは、教育に熱心な父の意向でフィリップス・エクセターアカデミーを経てダートマス大学に進学しました。しかし、大学生活は順調ではなく、1810年の独立記念日祝典の際に大砲を放って校舎を損壊させるといういたずらを起こし、大学を退学処分となります。
その後、地元の弁護士デイヴィッド・スタレットのもとで法学を学びましたが、人生の転機は1812年に訪れます。同年3月12日、1812年戦争の勃発直前に第3砲兵連隊の少尉として任命され、軍人としての道を歩み始めました。
主要な軍事活動と昇進の軌跡
1812年戦争と戦後の任務
軍歴の初期、ピアースは「ピアース砲兵中隊」を率い、フォート・オスウィゴやランディズ・レーンなどの激戦地で指揮を執りました。戦後も軍に留まり、第1、第3、第4砲兵連隊を転々としながら経験を積みます。1816年から1821年にかけては、ミシガン州のフォート・ホームズやフォート・マキナックの指揮官を務めました。
第二次セミノール戦争での功績
1830年代半ば、フロリダ州で発生した第二次セミノール戦争に投入されたピアースは、フォート・ディファイアンスやフォート・ドレーンに配属されました。特にフォート・ドレーンでの卓越した軍務が認められ、1836年には中佐(臨時)へと昇進。同時にフロリダ民兵の大佐にも任命されました。
晩年の軍務と米墨戦争
その後、ニューヨーク州のプラッツバーグやメイン州のハンコック、ロードアイランド州のフォート・アダムスなどで指揮官として勤務しました。1847年から1848年にかけての米墨戦争期間中、彼はフォート・アダムスの指揮官として、テキサスやメキシコへ派遣される部隊の動員および復員業務という重要な後方支援を担いました。
私生活と家族の悲劇
ピアースの私生活は、度重なる喪失に彩られていました。彼は生涯で3回結婚しましたが、妻たちは相次いで早世しています。1回目に結婚したジョゼット・ラフランボワーズは出産に関連して、2回目の妻アマンダ・ボイキンは1831年に、そして3回目の妻ルイザ・ガートルード・リードは1840年に亡くなりました。
特にアマンダの死後、フォート・デラウェアで火災が発生した際、ピアースは自ら炎の中に飛び込み、妻の遺体を救出したという逸話が残っています。彼には7人の子供がいましたが、多くが若くして世を去りました。
ピアースの経歴まとめ
| 項目 | 詳細内容 |
|---|---|
| 生没年 | 1790年8月29日 - 1850年4月1日 |
| 最終階級 | 米陸軍中佐 / フロリダ民兵大佐 |
| 主な配属地 | フォート・マキナック、フォート・アダムス、フォート・ハミルトン等 |
| 主な戦歴 | 1812年戦争、第二次セミノール戦争、米墨戦争 |
| 埋葬地 | サイプレス・ヒルズ国立墓地(ニューヨーク州) |
後世への遺産
彼の名は、フロリダ州の都市フォートピアースとして現代に受け継がれています。この都市は、彼が指揮したインディアン・リバーの砦の跡地に建設されました。また、彼の生涯は後年、ルイ・H・バービーやトーマス&マーガレット・リーらによって伝記としてまとめられており、一人の軍人としての足跡が記録されています。
Frequently Asked Questions
ベンジャミン・K・ピアースはどのような人物でしたか?
19世紀前半に活躍した米陸軍の職業軍人で、38年間にわたり砲兵連隊を中心に奉仕しました。政治的に有力なピアース家の出身であり、フランクリン・ピアース大統領の兄にあたります。
彼が関わった主な戦争は何ですか?
1812年戦争、第二次セミノール戦争、そして米墨戦争の3つの大きな紛争に従事し、現場での指揮や後方支援に携わりました。
「フォートピアース」という地名との関係は?
フロリダ州にあるフォートピアース市は、彼が指揮した砦(フォート)にちなんで名付けられた都市です。
大学を中退した理由は?
ダートマス大学在学中、独立記念日の祝典で大砲を撃ち、キャンパスの建物を損壊させるといういたずらを行ったため、大学から退学処分を受けました。
彼の軍歴における最高階級は何でしたか?
米陸軍では中佐(Lieutenant Colonel)まで昇進し、フロリダ民兵においては大佐(Colonel)の階級にありました。
References
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