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1870年アメリカ合衆国国勢調査南北戦争後の社会変容を記録した第9回調査

1870年6月1日から1871年8月23日にかけて実施された第9回アメリカ合衆国国勢調査は、単なる人口集計以上の意味を持っていました。南北戦争が終結し、奴隷制が廃止されてからわずか5年後に行われたこの調査は、自由を得たアフリカ系アメリカ人の詳細な情報を初めて記録した歴史的な転換点となりました。

当時のアメリカは急速な成長期にあり、総人口は38,925,598人に達しました。これは前回の1860年調査と比較して22.6%という大幅な増加を示しており、国家としての規模拡大と社会構造の変化を浮き彫りにしています。

Key Facts

  • 総人口: 約3,892万人(1860年から22.6%増加)
  • 最大人口州: ニューヨーク州(4,382,759人)
  • 最小人口州: ネバダ州(42,941人)
  • 歴史的意義: アフリカ系アメリカ人の詳細なデータを初めて収集
  • 都市化の進展: 上位100都市すべてが人口1万人を突破
  • 調査体制: 米国連邦保安官局(US Marshal Service)が調査員を務めた最後の国勢調査

調査の体制と構造的な変更

この調査は、内務省傘下の国勢調査局(Census Office)が主導し、1850年国勢調査法に基づいた体制で運用されました。実務的なデータ収集は連邦保安官が任命した助手たちが担当しましたが、この回から運用ルールが厳格化されました。具体的には、回答期限の明確化や、調査への回答拒否に対する罰則の適用範囲がすべての質問項目に拡大されました。

また、社会情勢の変化に合わせて調査票も刷新されました。かつての「奴隷用」の質問票は廃止され、戦後の新しい社会構造を反映した以下の5つのスケジュール(区分)で構成されました。

  • 一般人口(General Population)
  • 死亡率(Mortality)
  • 農業(Agriculture)
  • 工業生産(Products of Industry)
  • 社会統計(Social Statistics)

経済成長と人口動態の分析

経済面では、米国の総資産が1860年から17.3%増加し、評価額で約141億ドルに達しました。この富は主に北東部の開発地域に集中しており、ニューヨーク、マサチューセッツ、ペンシルベニア、オハイオの4州が最大の貢献州となりました。一方で、ワイオミングのような新領土では経済基盤の構築が始まったばかりの段階でした。

社会統計においては、初めて「出生地(nativity)」の記録が導入されました。これにより、どの地域にどれだけの移民が居住しているかが明確になりました。特にニューヨーク市では、人口の44.5%にあたる419,094人が外国生まれであり、フィラデルフィアやシカゴ、サンフランシスコなどの主要都市でも移民が人口の大きな割合を占めていたことが分かります。

また、死亡率の推移を見ると、1850年から1870年の20年間で人口比の死亡率が低下しており、外部要因による生活水準の向上が推察されます。

人口統計の詳細データ

1870年の調査結果は、人種や居住形態によって細かく分類されました。特に「憲法上の人口(Constitutional population)」という概念があり、これは政府の保留地に住む先住民や、新たに獲得したアラスカ地区の人口を除外して算出されたものです。この数値は議席配分の基準として利用されました。

1870年国勢調査 人口内訳サマリー
区分 総人口(全米) 州のみ 領土(Territories)
実人口(True Population) 38,925,598 38,205,598 720,000
憲法上の人口(Resident) 38,558,371 38,115,641 442,730
白人人口 33,589,377 33,203,128 386,249
黒人人口 4,880,009 4,835,106 44,903
先住民(保留地内) 357,981 89,957 268,024
中国人人口 63,199 56,124 7,075
日本人人口 55 55 0

人口過少計上を巡る論争

当時の調査結果には、実際よりも人口が少なく計上されたという「アンダーカウント(過少計上)」の疑いが強くかけられました。特にニューヨークやフィラデルフィアでは、人口の3分の1が漏れているという激しい不満が出たため、大統領が異例の再調査を命じる事態となりました。しかし、再調査の結果、増加分はわずか2%から2.5%にとどまりました。

この論争は1890年の調査時にも再燃しました。1870年から1880年にかけての成長率が異常に高く、逆に1880年から1890年の成長率が低かったため、1870年のデータが120万人以上過少だったのではないかという主張がなされました。現代の社会科学者の多くは、当時の批判ほど深刻な過少計上ではなかったと考えていますが、当時のデータ精度に関する議論は歴史的な記録として残っています。

Frequently Asked Questions

1870年の国勢調査で特に重要だった変更点は何ですか?

南北戦争後の社会状況を反映し、アフリカ系アメリカ人の詳細な情報を初めて収集したこと、および人口の出生地(nativity)を記録し始めたことが大きな特徴です。

当時の人口集計における「憲法上の人口」とは何を指しますか?

政府の保留地に住み部族関係を維持している先住民や、新領土のアラスカ地区の住民を除いた人口のことです。主に連邦議会の議席配分を決定するために使用されました。

なぜ人口の過少計上が問題になったのでしょうか?

ニューヨークやペンシルベニアなどの大都市で、冬の寒さにより住民が屋内にいたため計上漏れが発生したと考えられたためです。また、後の調査との成長率の乖離から、統計的な不整合が指摘されました。

当時の調査ではどのような個人情報が収集されましたか?

氏名、年齢、性別、人種、職業のほか、不動産や個人資産の価値、出生地(父母の出生地を含む)、就学状況、読み書きの可否、および投票権の有無などが詳細に記録されました。

当時の経済的な中心地はどこでしたか?

ニューヨーク、マサチューセッツ、ペンシルベニア、オハイオの4州が資産額の上位を占めており、富は北東部の開発地域に集中していました。

References

  1. The District of Columbia is not a state but was created with the passage of the of 1790.
  2. Includes a population of 450 for Rio Virgin County, which was located in Nevada but enumerated as part of Utah in the 1870 census.